2014年2月16日日曜日

いつも、いつも、いつまでも・・・勉強

いつまで勉強?好きな事を勉強するのは楽しい・・・
しかし、そろそろ自分でやれば?
そうですね、自分でやるのはとても苦しいのですよ。
自由になれば?
そうですね、子供の頃とっても自由だった気がする。
父も母も自由人で父は机に向かってなんかよく記録の様な事を書いてた人だった。
母は昭和30年代の頃から手作りでバタークリームの、デコレーションケーキを家で焼く人だった。
満州時代に覚えたピロシキやボルシチなど、本場仕込みよ。と子供に食べさせた。子供にはいつも母がミシンで服を縫ってくれた。
母は私が生まれた頃は銀山町で、アザミ洋裁店という店をしていて、お針子さんが何人もいた。
 テレビも近所にはまだない時代にうちにはテレビもステレオもあってよく、第3の男のレコードをかけて曲に合わせて、姉となんだかわからないけどプールに飛び込むかっこうをして遊んでた…。物語は知らなかったけど。あと江利チエミのテネシーワルツとかジャズの曲。
父の弟が電気屋をしていたので父が無理をいって何でも早くに買ってたのかと思う。

姉は冒険心旺盛で当時流行っていた少年探偵団のまねをして、そろいのブラウスを生地を買ってきて何枚か縫い近所の子にもきせて探偵ごっこをした。男の子数人探偵団グループにしたてていた。不思議に淡いブルーに小さなプリント柄まで覚えている。今思えばチョッキのような恥ずかしいものだったが、その当時はそんなことも思わなかったのだろう。
母に縫い方など教わった気がする。そして数人であちこち探検していた。
姉がリーダーで私はついていくだけだった様に思う。

あるとき怪しい男だと決めつけて二人で後をつけていき、小学生に上がったばかり位だったと思うが男がバスに乗ったので本当にバスに乗ってまで尾行したのです。あれはきっと人さらいか、なにか悪人だときめつけて、気付かれないようにまるで本当に明知探偵になった気分だった。

小使いがたりなくて横川でバスを降り断念して歩いて帰った記憶がある・・・可笑し行ったらない。

ある時は父と喧嘩して家出をしようと、姉と太田川を歩いて渡り己斐までいつた所で心細くなりは派出所をみつけておまわりさんに訳を話し父にむかえに来てもらったり・・・大怒られしましたが・・・でもなんか夢があったような・・・。
影絵を作ってちゃんと電球と紙を貼ったスクリーンも作って、近所の子をあつめて上映したりもした。
姉と「白鳥の王子」とか創作劇を色々作った。小学校1~2年生だったと思う。どうやって作ったのか…文化会館の図書館で影絵や指人形の作り方を調べて研究した。
そう、私一人でしたのはたしか3年生頃か、「小鹿物語創作編」を書いて、なんと絵もつけてクラスで前に立ってみんなに発表した覚えがある。
別に宿題とかではなく、なんかこんなものを書いたのでみんなに見て欲しいという感じだったと思う。先生に褒められたような気がする。
なんと創造的で楽しい子供時代だったのだろう。

突然こんなことを思い出したのはなぜなんでしょう。

そう、とっても自由だった子供時代・・・もう一度帰ってみたら素晴らしい絵が描けるかも知れない。今は観念的でちっとも面白いことなんか浮かばない。うまくなりたい、そんなことばかり考えているからかしら・・・

もっと自由に描きたい・・・今日はひとり言・・・おわり。


1 件のコメント:

  1. 自分の記事にコメントしてもいいかなぁ・・・
    おわり。というのは緇井鶏子さんのブログが超カツコ良かったのでまねしてみました!
    とっても内容が多義にわたっていて高等すぎてとうてい理解できない感じなのですが
    おわり。だけ拝借してみた。

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